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鳥山明はドラゴンボールを何歳で6編描いた?29歳から最近までの活躍を紹介

鳥山明はドラゴンボールを何歳で6編描いた?29歳から最近までの活躍を紹介
アキ
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鳥山明先生は何歳からドラゴンボールを描いているのでしょうか?

ドラゴンボールを読んでいると初期のころから抜群に絵が上手いですよね。

人物も見分けがつきやすいし、車やバイクの絵もとてもかっこいいです。

本当に絵がお上手ですし、ストーリー展開も大好きです

鳥山明先生がドラゴンボールを描き始めたのは、29歳のときからです。

今回はドラゴンボールのストーリーの歴史も振り返ります。

当時、鳥山明先生が何歳でどのストーリーを描いていたのか調査しました。

また、ドラゴンボール連載前後の経歴についてもまとめました。

鳥山明はドラゴンボールを何歳から描き始めた?ストーリーと共に振り返ろう!

鳥山明先生は、1984年11月に29歳の若さでドラゴンボールの連載を始めました。

ドラゴンボールは、2024年11月に40周年を迎えます。

40年もの間、世界中の多くの人たちに愛されている作品を生み出す才能は素晴らしいですね。

そんなドラゴンボールのストーリーを鳥山明先生が何歳のときに描いていたのかご紹介します

孫悟空少年編

鳥山明先生は、1980年の25歳のときに『Dr.スランプ』を描き始めました。

しかし、アイデア不足を理由に1984年8月に連載終了。

その3ヶ月後の29歳のときには、『ドラゴンボール』の連載を開始しています。

鳥山明先生は映画を見ながら漫画を描いていたようです。

当時見ていたジャッキー・チェンの映画をヒントに孫悟空が生まれました。

ピッコロ大魔王編

1987年8月の32歳のときに、ピッコロ大魔王編が始まりました。

このころのドラゴンボールは戦闘アクション漫画の要素が強いです。

鳥山明先生としては、小柄な孫悟空ではアクションに限界があると感じていました。

連載をやめたいと申し入れたことがあるようです。

編集者と話し合った結果、孫悟空を青年にすることで連載を継続しました。

サイヤ人編

1988年10月の33歳のときには、サイヤ人編が始まります。

実はこの前のピッコロ大魔王編の最後は最終回のような絵柄になっています。

孫悟空は「みんなバイバーイ!また会おうなー!」と言って筋斗雲に乗って飛んで行ってしまいます。

しかし最後のひとコマで亀仙人が「最終回じゃないぞよ、もうちっとだけ続くんじゃ」と言っています。

鳥山明先生はピッコロ大魔王編で完結したかったという噂があります。

確かにここで終わっていてもキレイに話はまとまった印象を受けます。

しかし先生が連載をつづけてくれたおかげで、ベジータなどの歴史に残るキャラクターに会うことができましたね

アニメではサイヤ人編から『ドラゴンボールZ』が始まっています。

フリーザ編

サイヤ人編から1年後の34歳のとき1989年10月頃から、ナメック星へ向かうフリーザ編が始まります。

当時は子供だったので、フリーザ編は出てくる敵がとても怖かったのを覚えています

ちなみにキャラクターが何歳だったかという話をすると、このときの孫悟飯、実は5歳なんですよね。

孫悟空の初登場が12歳だったので、悟飯はとてもがんばっています。

人造人間・セル編

フリーザ編は約2年弱つづき、1991年7月の36歳のときには人造人間・セル編が始まりました。

この頃になると、フリーザが最強の敵だと思われていたのに次から次へと強い敵が出てくると言われていましたね。

個人的には、孫悟飯がいちばんかっこいい時期だと思うので、人造人間・セル編も十分に楽しめました。

魔人ブウ編~連載終了まで

38歳の1993年5月からは、孫悟空に代わって、孫悟飯が主人公になると亀仙人が説明しています。

漫画ドラゴンボール最後のシリーズ、魔人ブウ編の始まりです。

そして、ドラゴンボールは1995年6月に連載を終了することになります。

終了の理由は、アニメスタッフのために原稿を下描き状態で見せなければならないほど多忙になったためです。

連載終了時、鳥山明先生は40歳でした。

29歳の連載開始から11年間ドラゴンボールを描いていたことになります。

これは、やはり大変な作業だったようで、鳥山明先生は連載終了したことを喜んでいました。

出展:「DB大全集」付録「神龍通信」ちかごろのワシ

ドラゴンボールは市街地のシーンも多く、描くのが大変だったようです。

市街地で戦闘に入るときには爆破させたり、戦場をすぐに荒野に移動させたりと苦労していました。

また超サイヤ人を金髪の設定にしたことで、アシスタントが髪色を塗る作業時間を節約させるなどのエピソードがあります。

ドラゴンボール連載前後の鳥山先生の経歴を知りたいな

漫画家になった理由などを調べてみました

鳥山明のプロフィールとドラゴンボール連載前後の経歴を紹介

鳥山明先生は1955年4月5日生まれです。

  • 本名:鳥山明
  • ふりがな:とりやまあきら
  • 生年月日:1955年4月5日
  • 出身地:愛知県名古屋市
  • 居住地:愛知県清須市
  • 学歴:愛知県立起工業高等学校
  • 職業:漫画家、デザイナー
  • ジャンル:少年漫画
  • 活動期間:1978年(23歳)-2024年(68歳)
  • 事務所:BIRD STUDIO(バード・スタジオ)
  • 著名な家族:みかみなち(妻・少女漫画家)
  • 尊敬していた漫画家:手塚治虫、ウォルト・ディズニー

鳥山明さんは本名だったんですね!今回初めて知りました

本名の鳥山明で活動している理由は、デビュー前に「どうせ売れるわけがない」と思っていたからだそうです。

ドラゴンボール連載開始前の経歴について

鳥山明先生の漫画ドラゴンボール連載前の経歴も見ていきましょう。

どのような経緯でドラゴンボールを描くようになったのかご紹介します。

【幼少期】

幼少期は漫画やアニメに熱中し、絵を描くことが大好きで絵画教室にも通っていました。

【小学校】

小学校高学年以降は映画やドラマに興味がうつり、漫画に触れる機会は無くなっていたそうです。

絵を描くことはずっと好きで、小学校の写生コンクールで数回入賞しています。

【高校】

高校は、絵に対する自信もあったため、愛知県立起工業高等学校のデザイン科へ進学。

高校時代は、美化キャンペーンのポスターで全国高校生の部で入賞しています。

漫画研究同好会に所属して同好会の会長にもなりましたが、漫画を描くことはなかったそうです。

【就職】

地元の広告関係のデザイン会社、にデザイナーとして就職しましたが、約2年半で退職しました。

【漫画家デビュー】

退職後、アルバイトをしている頃に、新人賞の賞金目当てで『週刊少年マガジン』に作品を応募しようと23歳で漫画を描き始めました。

結局、このマガジンの締め切りには間に合いませんでした。

そのため、1978年1月には『週刊少年ジャンプ』の新人賞へギャグ漫画を応募します。

このときも入賞はしなかったものの、ジャンプ編集者の目にとまり、修行をかさねながらデビューにいたりました。

絵を描くことがずっと好きだったことが伝わってきますね

連載終了後のドラゴンボールとの関わり

1995年に40歳でドラゴンボールの連載を終了したあとも、様々な作品に関わっています。

もちろんドラゴンボール作品にも多く関わっています。

連載が終了した翌年の1996年2月にはアニメ『ドラゴンボールGT』の放送がスタートしました。

完全オリジナルストーリー作品ですが鳥山明先生は、キャラクターデザインや設定画を描き下ろす形で参加しています。

47歳の2002年12月4日からは完全版コミックスが発売され、描き下ろしカバーイラストを描いています。

57歳の2013年3月30日には、17年ぶりとなる新作映画『ドラゴンボールZ 神と神』が公開され、脚本に深く関わっています。

60歳の2015年4月18日には、鳥山明先生が単独で脚本を書いた映画『ドラゴンボールZ 復活の「F」』が公開されました。

2015年7月5日から放送開始したアニメ『ドラゴンボール超』では、TVアニメで初めてストーリとキャラクターの原案に関わっています。

67歳の2022年6月11日に公開された映画『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』では、脚本とキャラクターデザインをつとめました。

鳥山明先生は、漫画完結時にストーリーの時間を10年後まで進めています。

しかし、「アニメが復活するとは思っていなかったから、アニメ会社さんは大変だったんじゃないかな(笑)」とも語っています。

ドラゴンボールのアニメや映画は時間軸がちょっと複雑になってますよね

大人気作品のため、空白の時間のストーリーがあとからどんどん付け足されています。

2024年秋には、ドラゴンボール40周年記念として、6年ぶりの新たなアニメ『ドラゴンボールDAIMA』が放送される予定です。

DAIMAには、鳥山先生もしっかり関わっていて、新しいキャラクターもほぼすべて描いていたそうです。

鳥山明先生と『ドラゴンボール超』との関係について知りたい方は、こちらの記事をどうぞ!

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まとめ

今回は、鳥山明先生がドラゴンボールを何歳から描き始めたかについて、ストーリーとともに経歴も合わせて紹介しました。

29歳で描きはじめたドラゴンボールですが、68歳になるまで作品を作りつづけてくださいました。

間もなく40周年になるドラゴンボールを鳥山明先生とともにお祝いしたかったですね。

何歳になっても楽しめるドラゴンボールの世界をこれからも応援しつづけていきます。

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